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学舎だった木造校舎の教室に見出しの言葉が、貼られていたことを思い出しました。歳を経る毎に、妙に説得力を伴って実感される言葉の一つですが、最近の宮城のサッカーの課題を言い当てている言葉でもあります。
選手を取り巻く環境には、物的なもの、人的なもの、経済的なもの等、様々なファクターがあります。確かに上を見ればキリがありませんが、宮城は昨年の国体開催もあり、どのファクターにおいても恵まれていると言える環境を備えています。しかし、VOL.1でも述べました「そこそこレベル」にとどまっているのが現状です。
今、宮城のサッカーに足りないもの・・・それは『闘う環境』だと、あえて言い切りましょう。なにも今になって、「ハングリーな環境を作り出せ」と言うのではありません。それ自体不可能であり、意味も無いことです。整えられた環境の中で、いかに闘争心を掻き立て、個々の選手やチームにベストパフォーマンスを発揮させることができるか?が、最大の課題と言えます。
任務上、県内の各カテゴリーのゲームを観ます。全国レベルや海外のゲームも観ます。そこで実感として強く感じる決定的な相違は、勝負への執着心、切迫感、緊張感なのです。真剣で深刻な勝負には、妥協を許さないプレーがあり、クリエイティブなサッカーがあります。ギャラリーをサッカーの醍醐味に引き込む力を感じるのです。ぎりぎりの戦いにこそドラマは生まれ、感動を呼ぶのでしょう。
「そこそこの戦い」に切実感は存在しません。そして、その戦いを作り出しているのが、実は日々のトレーニングであることを今こそ自覚しなければならないでしょう。闘う認識の薄いゲームやトレーニングでは、厳しく精度の高いプレーは必要とされませんし、そのことは悪循環を生み、「そこそこの選手」を作り出す温床となってしまうのです。
選手は、良くも悪くも環境に順化していきます。またゲーム経験やトレーニングの質が選手の成長の伸び代を決定していくとも言えるでしょう。トレーニング環境に対する指導者の意識の変革こそが、今後の宮城の発展を左右するのだということを指導者が共通認識として持つことを期待します。 |